ついに育休が終わる。
コロナで延長になってた復職が目前に迫っている。
息子の2回目の慣らし保育も始まり、平日息子とふたりの生活も終わってしまった。
思い出すのは、なんともない日々のこと。
ふたりで行った公園。
まだ歩けなかったので、ベンチで抱っこしてお話してた。
午前中の自由時間。
時間の制限がないまったりとした時間に、隣り合わせで一緒に遊んだ。
ママ友さんのおうちで遊んだこと。
楽しすぎて夕方遅くまで話してたなぁ。
息子はいつも楽しそうにしてくれて、
いつも嬉しそうに駆け寄ってきてくれて、
大声で顔をしわくちゃにして泣いて、
幸せそうに眠り、
大きいお口でご飯を食べていたなぁ。
私は子どもを持って、育休を取得して、自分のいろんな面を知れた。息子が来てくれてほんとうによかったと思う。
まだ勤務開始までは少しあるので、それまでやりたいことをやっておきたいな、、
息子のかわいいところ
・電車がすきで1日中電車のおもちゃを持っている
・おえかきがしたくてしたくてたまらず、お絵かき用のレジャーシートを出そうとする
・シールを貼るとき、ペタペタという
・たっちするとき、「たっちっち」と言って立つ
・Eテレをみて踊る
・大人の言葉や身ぶりをマネする
最近つらい。
最近辛いことがある。
息子がまだひとりでたっち、あんよができないのだ。
たまに数秒たつことはあるけど、1日にほんの数回。
つたい歩きもするし、両手をつなぐと歩けるので、発達の問題は心配していない。
一番しんどいのは、ママ友からの「こんな遊びしてる!」「こんなことができた!」というLINEでの報告だ。
自分の息子とのあまりにも大きな差にびっくりする。
でも、それはとてもすごいことだし喜びたい。
でも同時に、自分たちが置いていかれていく気持ちになる。
気を使わせたくないので、なるべく歩けないことは言わず、喜びだけ伝えるけど、なんとなく気分が晴れない。
夫にも「○○くんはもうこんなことができるらしいよ!」と明るい感じで伝えるけど、正直不安でいっぱいだ。
ほんとうに歩けるようになるのかな。
私の接し方が悪いのかな。
こんなことがぐるぐるまわる。
今は自粛中で、一緒に遊ぶことも全くないけど、もし一緒に遊ぼうとなったとき、私たちだけ置いてけぼりになるんじゃないか。
みんな楽しそうに遊んでるのを横目に私たちだけ、違う遊び方でしか遊べなくてふたりぼっちになっちゃうんじゃないか。
こんなことを考え始めると、自粛が明けるのも怖くなってくる。
今日体調が悪い上に、PMSもひどく、かなり落ち込んでいたら、最初は心配してくれてた夫も呆れてしまい、話し合いをしようともせず、さっさと寝てしまった。
追い詰められてるのは私だけのようだ。
当の息子は、楽しそうにニコニコ笑いながらつかまり立ちしたり、つたい歩きしている。
それを見ると、私はなんてダメな母親なんだと思う。
自分にはどうしようもできないし、彼の成長を待つしかできないのだけれど、なんともどかしいことか。
早く、この時期もかわいかったと振り替えられるようになりたい。
明日から保育園
件名の通り、明日から慣らし保育だ。
不安もあるけど、期待もある。
保育園は、息子にたくさんの新しい体験をくれるだろう。
育児の大変なところって、自分の行動が子供の発達に関わってくる可能性がある(とおもってしまう)ところだと思う。
最近、ごはんで遊んでしまう息子。
早く食べてもらいたい私は遊びを止めて、口にごはんを持っていってしまう。
でもほんとは、それって彼の学びをうばいとってるんじゃないか?と思って自己嫌悪。
天気がいいのに、自分の気分がのらず、あんまりお散歩出来なかったりすると、それも、自己嫌悪。
バタバタしてたり、疲れてたりで、読んでともってくる絵本をよんであげなかったことも自己嫌悪。
でも、保育園に行くと、先生がたくさんの体験をさせてくれるだろう。ほんとうにありがたい。
一向に歩かない息子だが、出来るようになったこともいっぱい。
・おもちゃのかぎでドアをあけることができる
・おもちゃのコンセントをさしこめる
・お昼寝の話をすると、夜寝る前に読む本をもってきたり、寝室を指差したり
・○○の本をもってきて、というともってきてくれる。
理解する力が高まってきている気がする。
でも。
そろそろあんよしてくれてもいいのよ。。
我が子のかわいいところ。
・たまに絵本やテレビをみながら楽しそうにムニャムニャ言っている。
・テンションが上がると、ハイハイで何周もまわる。
・ほめるとうれしそう
・お腹がいっぱいになってくると、急に機嫌がよくなる。
・たまに両手をあげて踊ってる
・絵本を真剣に読んでるところ
母も産まれてから、よく頑張ったなと思います。
わりと一緒に遊んであげてたのではないかと。
昨年の振り返りと我が子のかわいいところ
息子と迎える初めてのお正月!
息子が産まれて、この一年、いろんな出来事やいろんな人とのつながりを息子がつないでくれたなと思う。
息子がいなかったらいかなかった場所、息子がいなかったら出会わなかった人。
失ったものもたくさんあるけど、よかったこともたくさんある。
よかったことのひとつは自信が持てたこと。
数年前に転職をして新しい会社に入ったのだけど、そこで仲間といえるような親密な関係を築くことができなかった。仕事する場所といえばそれだけだけど、やっぱり愚痴とかも言い合いながら一緒に乗り越えていくような関係性の人がわたしはほしい。
でも全然できなくて、前職でできてたのは周りの人が優しかったからなんだ、もうわたしは新しい関係を作ることは出来ないんだと悲しくなっていた。
でも息子が産まれて市のママさん会に参加して、気楽に話せる仲のいいママ友さんが数年できた。
私にもまだ新しい関係を作ることができるんだと思えて、うれしかった。
一番の驚きだったのは、コミュニケーションがとれるようになったこと。
最初は目も虚ろで、何をいっても伝わっているかわからない感じだったのに、
まねっこしあったり、言葉だけで動作がでてきたり、気持ちが通じている感じがもてるようになったのが、運動の発達よりも、なによりも驚きだった。
あとは、息子のかわいいところ。
・寝顔
・声
・遊びに集中しているときにとんがるお口
・朝添い寝してたら起こしてくれること
・御飯をまつおおきなお口
・お座りして遊んでいるときの後頭部から背中にかけて
・くしゃくしゃにして笑う顔
今年はもうちょっと更新したいな。。、
最近おもうこと。
だいぶ間があいてしまった。
その間に息子は3回食になり、ハイハイができるようになり、つかまり立ち、つたい歩きができるようになった。
はーい!やバイバイ、パチパチもできる。
ご飯あとのごちそうさまもしてくれる。
発達がほんとにめざましい。
息子は本当によく食べる。
嫌いなものもないし、べーっともほとんどしないし、食べムラもなく、ほぼ100%完食してくれる。
作りがいがあるし、離乳食に関してのストレスはほとんどない。
こんなとき、「わたしの献立がよかったのかな」と思いがちで、危なくなる。
食べないと悩んでいるママさんにアドバイスしそうになって、口をつぐむ。
息子がよく食べてくれるのは、息子の特性によるものだ。
私がどうこうというものではない。
だって、食べない子のお母さんもわたしと同じくらいかそれ以上にいろいろ工夫しているから。
育児でなにかうまく行ったとき、それを自分の功績にして、他人にその経験を押し付けそうになってしまう。
でも、それはほんとうによくない。
優劣なんてない。
これだけは気を付けないとなと、すごく思う。
育児を始めてから不思議に思うことがたくさんあって。
そのひとつが、実際に研究をしていたわけでもない普通の育児経験者が、成功体験を語ったり悩み相談を受けるようなケースが多々あること。
おばあちゃんの知恵袋的なやつなら全然いいのだけど、普通のおばちゃんが育児論を語るセミナー?みいなのがたまにあって、しかもその持論がただひとつの正解だと思っていること。
セミナーとか大それたものではなくても、身近な人(例えば実母や義母)が自分の成功体験をただひとつの正解だとして、アドバイスしてくること。
わたしの夫は教育学を専門に研究をしているのだけど、「教育は誰しもが受けたことがあるから、舐められていて、研究をしてもいない教育学者でもない人が教育論を語ることも多い」と言っていて、同じだなと思った。
自分の成功体験が誰かの役に立つならうれしいけれど、それはあくまで求められたときのみに伝えるべきであり、しかもそれは正解のほんのひとつに過ぎないことを自覚するのを忘れてはいけないなと思う。
育児なんて正解がほんとにわからない世界だからなおさらだ。
書店でのきづき
夫が友人の海外挙式に行っているので実家に帰っている。
息子は環境が変わったからか、生活リズムがちょっと変わってしまったからか、たまにすごいギャン泣きする。いつもは機嫌のいい時間に泣いたり、ミルクを欲しがったりする。
実母が家事をしてくれるので、私は終始息子と一緒。ありがたいけど、これはこれで大変。家事をすることで、息子とほどよく離れることができていたんだと実感。つきっきりは結構くるものがある。
しかもいつもとはなんかちがう息子。経験が通用しない。
そんなこんなで近くのショッピングモールにいって久々に本屋さんに寄った。
そこでふたつのことをおもった。
ひとつめは、私はちゃんと息子に向き合えているのか、ということ。
絵本コーナーをみていたら、「のんびり絵本のすすめ」的なのがあり、赤ちゃんとのゆったりした時間をもって、絵本をよむこと、どんな体勢でも大丈夫、赤ちゃんはお家の人の声がだいすき、ということがかいてあった。
それをみたら、わたしは毎日のタスクに追われて自分の休憩時間をつくることを目指して、そんなゆったりした時間を息子と過ごせていないということに気づいた。
まだまだちいさかった3ヵ月ごろは、膝の上においてぼーっとしたりしてたのに。
ちょっと前は絵本を読むようにしてたのに。
最近は一人遊びを始めると、私は家事をしてしまう。
泣いたら抱っこ、でも落ち着いたらしたいことがあるからとまた一人にさせてしまう。
一緒に遊んであげられているのだろうか。
私がそうしているあいだ、ほんとは一緒に遊ぶことで息子に育つはずだった可能性の芽をつんでしまっていたのではないだろうか。
声かけはしてるつもりだったけど、全然足りないんじゃないか。
息子の不安な気持ちを私はキャッチできてないのでは。だから、あんなに泣くのかな。
無性に悲しくなってきてしまった。
私にできることは、もっと息子との時間を増やすことしかないので、それをやろうと思う。
けど、家事や自分の身支度、休息の時間も必要だ。
時間が足りなさすぎる。
もうひとつは、子どもをもったことでいろいろ諦めてしまっていたな、ということ。
偶然、簿記試験の参考書の近くを通ったが、あんなにやりたくないなと思っていた簿記の勉強を、ちょっとやりたいなと思った自分がいた。
でも今は時間もないし、、と思い始めて、でも勉強してる母親ってなんかかっこいいなともおもった。
もちろん、育児に全力で向き合う生き方もあると思う。私も子どもをもって、その生き方を過ごしてもいいかもしれないとも思った。
けど、ほんとにそこで絶ちきってしまってもいいのだろうか。頑張る努力をしてみることも大事だなとおもった。
身なりにかなり手を抜いているので、少しはおしゃれにも気を使うとか。
これはすぐにどうこうということではないけど。。
もっと強くなりたいな。
こころもからだも。
しんどいな、と思ってしまった
ここ数日、息子が全然お昼寝しなかった。
夜はなんやかんやでちゃんと寝てくれるので、なんとか睡眠はとれてるけど、日中全然休めない。
しかも昨日は置いたら泣くし、ひとりあそびもそんなに長い時間できずにすぐに泣くし、で、ほんとに全然自分の時間(家事とかふくむ)がとれなかった。
お昼ご飯も、息子を隣に座らせてお話しながら、急いで食べる。
なんか疲れてしまって、泣きじゃくる息子に強くあたってしまった。「しんどい」とさえ本人に向かって言ってしまった。
そのあと、すごく後悔する。。
息子は単純に私と一緒にいたいだけなのに。抱っこをしてほしいだけなのに。。
なんでそんなかわいい欲求を満たそうとさえできないんだろう。
泣けて泣けて仕方なかった。
昨日は6-7ヵ月検診の予約をしていたので、病院に。
発達や体格なども問題なしとみてもらって。
最後に看護師さんから、「がんばりすぎないで」と言われた。
そこで、「あー、私頑張りすぎてたのかな」と、なんだかストンと腹落ちして。
確かに家事もしないといけない、離乳食もバランスとか考えて量も考えないと、とかいろいろ考えすぎてた気がした。
なので、夜ご飯は手抜きで。これこれしないといけないとは思わずに。
夜はいつの間にか眠ってしまい、お風呂を全て夫に任せた。
そうしたら、なんとなくからだが軽くなって、今日は笑って息子を抱っこできた。
眠そうな息子を抱っこして寝かしつけたら、1時間半くらい寝てる。
もしかして、抱っこで寝かしつけしたほうが安心してよく眠れるのかな。
…と思ったら、起きちゃった